祭礼(例祭)
「丹波の祇園さん」の夏祭り。8 月第 1 土曜日の宵宮と翌日の本宮に、8 ヵ村の山車が集まり、おたびや神輿練り、3 年に一度のおやまの行事が行われます。
例祭の日程
毎年 8月第1土曜日(宵宮)・翌日(本宮) に行われます。土曜日の宵宮と、翌日の日曜日の本宮の 2 日間です。
次の例祭2027年8月7日(土)〜8月8日(日)例年の予定
日程の移り変わり
- 明治43年まで旧暦(陰暦)6 月 14 日
- 明治43年(1910)陽暦 8 月 5 日に変更(宵宮 8 月 4 日・本宮 8 月 5 日)
- 平成元年(1989)8 月の第 1 土曜日(宵宮)・翌日の日曜日(本宮)に変更
例祭の流れ
冊子(平成 28 年発行)に記された、宵宮から本宮の終わりまでの行事の順です。
宵宮
8 ヵ村の山車が、各村独自の印字のある数十個の提灯で囲んで吊るし、境内の西側に集まります。拝殿で氏子代表が拝壇して神事が行われます。
神事の後、神火を受けて各山車の提灯に移し、8 台一斉に点火します。点火したまま北側の山車から順に宮入りしてお祓いを受け、境内と参道で練り、最後の山車が練り終わると帰途に着きます。
写真はイメージです宵宮に提灯をともした山車 本宮
宵宮の翌日です。おやまが出るのは 3 年ごとで、おやまの出る年と出ない年とで行事の運びが変わります。
ごく
毎年の本祭の際に、本殿の神前にお供えする「ごく」と、おたびの御供の箱櫃に入れて大歳神社に運ばれ、お供えされる「ごく」があります。「ごくう」とも言います。
ごくは、もち米 1 升と黒豆少々で作られたおこわです。食材は宮ノ前の家によって受け継がれ、毎年本祭りの前にお供えされています。
古代米奉納
波々伯部八ヵ村の一つ、畑井の家から古代米の稲穂が奉納されます。その家では代々、田の一部で古代米の栽培を続けています。
山車参集
各山車が境内に集まります。提灯は屋根の上の象徴提灯だけにし、見送り・胴幕・天水引などの飾りは各山車独特の図柄で、緋羅紗の刺繍が見事です。
- 境内の東側
- 小中・辻・畑井・上宿
- 境内の西側
- 畑市・北嶋・井ノ上・宮ノ前
踊り子お祓い
踊り子がおたびに参加する前に、一人ひとりが宮司からお祓いを受けて出発します。
大会謡
踊り子のお祓いに続いて、宮年寄による大会謡の奉納が行われます。その後、おたびに出発します。
おたび
大歳神社までお旅をする行事(渡御行事)です。拝殿でお祓いを受けた社役人・宮年寄が、柿色の肩衣・袴姿で行列を作ります。先導は天狗の面をつけた猿田彦で、波々伯部の紋を付けた伝来の衣裳をつけて進みます。
続いて獅子頭、法螺貝、社銘旗、薙刀 2 人、御供物、3 人の神幣の順に並び、これらは社役人が担当します。さらに宮年寄が付き添う踊り子が太鼓を鳴らしながら道中を浄め、氏子代表、宮司と行列が続き、その後を山車 8 台が続きます。
大歳神社に御幣を奉り、御供物を供え、祝詞奏上が行われます。復路は同じ道を戻ります。緑の田園の中を行く行列と山車の列は、夏祭りの風物詩として知られています。
昭和 36 年までは、山車 8 台に 3 基の神輿も行列に加わっていました。
写真はイメージです田園の中を大歳神社へ向かうおたびの行列と山車 神輿練り
おたびから波々伯部神社に帰着した後、神輿練りが行われます。
おやま引きいれ
おやまの出る年の、本祭りの最後の行事です。「カミサンムカエ」あるいは「引山むかえ」と呼ぶ踊り子の太鼓の音に迎えられ、おやまは鳥居前から 100m 余りの馬場を通って神前に寄せられます。
おやまの行事
おやまの出る年は、神前に寄せられた 2 基のおやまの上で、宮年寄により「でこのぼう」の人形繰りが奉納されます。
- 国選択 無形民俗文化財「おやま行事」平成17年2月21日(2005)
山車帰路へ
おやまの出る年は、おやまの神事が終わると、山車が次々と帰路に着きます。おやまの出ない年は、神輿練りの後に各山車が帰途に着きます。
例祭の準備
6 月上旬の日程の打ち合わせから、例祭翌日の片付けまで、氏子総代会を中心に準備が進められます。
- 6 月上旬氏子総代会で、例祭日の日程計画を打ち合わせる
- 7 月上旬氏子総代会で看板を立てる
- 7 月上旬事故防止打合会(宮司・氏子総代・自治会長代表・出店者代表)
- 7 月中旬事故防止協議会(宮司・神社役員・各自治会長・青年代表・警察など)
- 7 月中旬道路使用許可を申請する
- 7 月下旬氏子による神社の清掃
- 7 月下旬おやまのある年は、おやまを組み立てる
- 宵宮の 2 日前でこのぼうの彩色、ふじたいの絵書き
- 8 月第 1 土・日例祭(土曜日が宵宮、翌日の日曜日が本宮)
- 例祭の翌日清掃や看板の撤去・幟の片付け、おやまの後片付けなど
社役人と宮年寄
おやまを取り仕切るのは社役人、でこのぼうを取り扱うのは宮年寄で、どちらも世襲制で受け継がれています。
社役人
おやまを取り仕切るのは、世襲制による 14 人の社役人です。
社役人の宮ノ党では、おたびの役決めや神輿・鉾立て・おやまの点検などが行われ、おやまの出る年は竹材の調達や組み立ての相談も行われます。宵宮の朝には神輿の組み立てがあります。
おたびでは、猿田彦・獅子頭・法螺貝・社銘旗・薙刀・御供物・神幣を社役人が担当します。
社役人の制度は、神殿・神具の担当として明治27年(1894)にできました。同じ年に御神殿を新築し、御遷座しています。
宮年寄とふじたい
写真はイメージですでこのぼうを取り扱うのは、各村にある、世襲制で引き継がれた宮年寄です。おやまの上での人形繰りも宮年寄が演じます。
例祭の 2 日前、宮年寄はでこのぼうの人形の彩色などの準備を行います。その日、墨と朱を神酒で溶き、半紙に「藤」と「鯛」の絵を描いて参拝者に与えます。参拝者はこれを家の門口に貼り、その年の災難と悪病を「封じたい」としました。藤と鯛で「封じたい」ともじった先人の知恵で、江戸時代の 1760 年頃から描かれていました。
神輿と神輿鉾
写真はイメージです現在の神輿は大正 14 年(1925)に新調されたもので、3 基ありますが、参加人数の減少で 1 基のみが使用されています。かつては 3 基の神輿に素戔嗚尊、奇稲田姫、御子神を乗せ、お旅所まで渡御しました。
昭和 36 年までは、8 ヵ村を 3 つの組に分けて毎年順送りに神輿を担ぎ、1 番赤、2 番黄、3 番青の布を神輿に巻き、担ぎ手の若衆も同じ色の守り札「おひねり」をつけました。
神輿鉾は、冊子では「大歳神社へのおたびに先導する神具」と説明されています。かつては 3 人の男衆が持ち、神輿の先頭を歩きましたが、50kg の重さのため、現在は披露のみとしています。一番鉾は御祭神、二番鉾は妃神、三番鉾は御子神です。