めぐる

文化財・宝物

国・県・市の指定文化財の一覧と、神社に伝わる宝物をご紹介します。

指定・認定

指定文化財

国・兵庫県・篠山市から指定・選択・認定を受けている文化財です。指定年は年表と同じ記録により、月日は冊子に載る選択書の日付です。

波々伯部神社の指定文化財(区分・名称・指定年)
区分名称指定年
国 重要美術品青銅の鳥居昭和20年(1945)
国選択 無形民俗文化財おやま行事平成17年2月21日(2005)
兵庫県指定 重要無形民俗文化財でこのぼう平成7年(1995)
篠山市指定 有形文化財造り山昭和53年(1978)
篠山市指定 有形文化財薬師三尊懸仏昭和59年(1984)
篠山市指定 有形文化財青銅の鳥居平成2年(1990)
篠山市指定 有形文化財障壁画 36 面平成6年(1994)
仏像と調度

懸仏と火鉢

薬師三尊懸仏

薬師三尊懸仏(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)(イメージ写真)写真はイメージです
薬師三尊懸仏(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)

室町時代の懸仏三体で、篠山市指定文化財です。薬師如来は永正 14 年(1517)、日光菩薩・月光菩薩は応永 34 年(1427)のもので、波々伯部一族が奉納した仏像です。鏡板の中央に仏像を彫り出しています。

天正年間の焼打ちで焼失を免れた、数少ない宝物です(木製)。

神紋の松で作られたという火鉢

舞鶴根引之松の枯れ木で作られたという火鉢(イメージ写真)写真はイメージです
舞鶴根引之松の枯れ木で作られたという火鉢

宮ノ前の家に伝わる、神社の神紋に関わる松で作られた火鉢です。

2 羽の鶴が舞い降りて植えたと云われる松、すなわち神社の紋である舞鶴根引之松紋の元となった松で作られたと言われています。

神紋 舞鶴根引之松紋

彫刻と襖絵

彫刻と襖絵

中井権次一統の彫刻

社務所奥居間の欄間の龍の彫刻(6 代 橘正貞)(イメージ写真)写真はイメージです
社務所奥居間の欄間の龍の彫刻(6 代 橘正貞)

丹波柏原に生まれた名工、中井権次一統の第 6 代 橘正貞による、社務所奥居間の欄間の彫り物は素晴らしく、表裏 2 面の彫刻がそれぞれ独立して存在しています。龍の長い髭も彫刻です。正貞の技量の高さが十分発揮されていると評価されています。奥居間の障子欄間も 6 代 橘正貞の作品です。特に龍の彫り物は素晴らしいですが、障子欄間の彫刻も必見です。

本殿や拝殿には 8 代 正胤の作品が多く、拝殿周りや本殿屋上の鬼面も素晴らしいものです。本殿や拝殿の各所に作品が 106 箇所に見られ、美術文化財の価値が十分にあります(社務所 2、本殿と拝殿 106)。

本殿

社務所の襖絵

社務所の襖絵(猛虎図ほか)(イメージ写真)写真はイメージです
社務所の襖絵(猛虎図ほか)

社務所には、長沢芦州の襖絵「月下芦鴈図」など 24 面(1800 年ごろ)、三木翠山の襖絵「猛虎図」8 面(大正 10 年)、法橋狩野丹渓守奏が板戸 4 面に描いた「桐花麒麟図」があり、計 36 面が篠山市指定文化財です。

社務所

鳥居と狛犬

青銅の大鳥居と狛犬

青銅製の大鳥居

青銅の大鳥居と柱の刻字(イメージ写真)写真はイメージです
青銅の大鳥居と柱の刻字

延徳 2 年(1490)に建立され、嘉永 3 年(1850)に修理再建されました。昭和 20 年 8 月 4 日に国の重要美術品に認定され、戦時の供出は免れました。この鳥居は、青銅鳥居として国内最古ではないかとされています。

形状は明神鳥居で、台石は花崗石かこうせきです。総高は 7.02m、架木間 9.3m、両柱間 4.635m、銅の円柱の直径は 49.5cm です。実際に通過できる最大幅は 3.7m 程度です。表の右柱には「天下泰平五穀成就」、表の左柱には「武運長久諸氏安穏」と記されています。

向かって左の柱の裏面には延徳 2 年庚戌と記されています(柱の刻字「延徳二庚戌年」)。神社名の掲額の大文字は、久邇宮朝彦親王くにのみやあさひこしんのうの揮毫です。

戦後、青銅の鳥居の前には「重要美術品 波々伯部神社銅製鳥居」の立看板がありました。

重要美術品波々伯部神社銅製鳥居昭和二十年八月四日文部省告示第九十四号ヲ以テ認定
戦後、鳥居の前にあった立看板の文面

狛犬

鳥居前の石製の狛犬と獅子(一対)(イメージ写真)写真はイメージです
鳥居前の石製の狛犬と獅子(一対)

狛犬は鳥居の前にある石製が知られていますが、かつては青銅製でした。嘉永 5 年(1852)氏子奉納の刻字があって、近郊に類を見ない黒光りする大変立派なものでした。戦争末期、軍の命令で、金属不足のため国に供出しました。

神殿に向かって左が狛犬(角があり、吽うん:口を閉じる)、向かって右が獅子(角はなく、阿あ:口があく)です。

これとは別に、本殿前には明治 26 年に奉納された立派な木製の狛犬 1 対がありましたが、平成 18 年 4 月 23 日に盗難に遭い、今も行方不明です。平成 18 年 8 月、阿形の獅子・吽形の狛犬の 1 対が、氏子と当時の氏子総代により奉納されました。

書と札

木額・掛軸・掛札

本荘繁自筆の木額

拝殿の木額(本荘繁の揮毫)(イメージ写真)写真はイメージです
拝殿の木額(本荘繁の揮毫)

拝殿に、陸軍大将 本荘繁 男爵(篠山出身)直筆の額がかかっています。「神威禮々しんいれいれい」とあり、紀元 2600 年を記念に揮毫したもので、昭和 15 年(1940)のものです。

久邇宮朝彦親王直筆の掛軸

久邇宮朝彦親王直筆の掛軸(イメージ写真)写真はイメージです
久邇宮朝彦親王直筆の掛軸

青銅の鳥居の掲額の文字です。久邇宮朝彦親王くにのみやあさひこしんのうは、幕末から明治時代(1824〜1891)の皇族で、昭和天皇妃の祖父にあたります。

この掛軸は、明治 12 年頃より、八坂神社であった当時の社掌が 3 回ほど東寺山階宮に上り、明治 15 年に御染筆いただいたとの記録があります。

波々伯部神社明治十五年三月二品朝彦親王
掛軸の文面

波多野秀治公直筆の掛軸

波多野秀治公直筆の掛軸(イメージ写真)写真はイメージです
波多野秀治公直筆の掛軸

波々伯部神社の所蔵で、昭和 26 年に多紀文化顕彰会より多紀郡古文化財名宝に指定されました。文面は例祭時の祈祷願文で、この文面から、秀治公の祈祷所であったと知ることができます。

当社御神楽料壱結進候祈祷事憑度候恐々謹言秀治判祇園社執行御坊中
掛軸の文面

八上城と淀山城

祇園牛頭天王の掛軸

祇園牛頭天王の掛軸(宮小路康文の書)(イメージ写真)写真はイメージです
祇園牛頭天王の掛軸(宮小路康文の書)

宮小路康文の書(幕末維新・1800〜1899)で、陰刻「康文之印」と陽刻「太宰府人」の落款が押されています。

宮小路康文は筑前の人で、名は康文、号を浩潮・古梅などと称し、嘉永年間(1848〜1854)に比叡山で天台の学を修め、権大僧正となって帰郷し、太宰府で菅公廟の祭主となり、大阿闍梨・大和尚に進むも還俗しました。幼少より晋唐以来の諸名家や我が国の名筆を学び、特に空海の書法を究めた名筆家として知られた書家で、平安遷都 1100 年記念祭には、平安神宮応天門の扁額を揮毫しているほか、明治 28 年に建碑された富岡神社の横綱力士碑の揮毫も行っています。

燃え残った祇園寺の掛札

燃え残った祇園寺の掛札(イメージ写真)写真はイメージです
燃え残った祇園寺の掛札

明治維新の宗教弾圧で、書類とともに色々なものが焼かれましたが、その時に焼け残った祇園寺の掛札です。

神輿

神輿と神輿鉾

神輿

大正 14 年新調の神輿(イメージ写真)写真はイメージです
大正 14 年新調の神輿

現在の神輿みこしは大正 14 年(1925)に新調されました。3 基ありますが、参加人数の減少で 1 基のみが使用されています。かつては、3 基の神輿に素戔嗚尊、奇稲田姫、御子神を乗せ、お旅所まで渡御しました。

昭和 36 年までは、「辻・畑市」と「小中・宮ノ前・北嶋」、「井ノ上・上宿・畑井」の 3 グループに分け、毎年順送りの順番に担ぎ、1 番赤、2 番黄、3 番青の布を神輿に巻き、担ぎ手の若衆も同じ色の守り札「おひねり」をつけました。

永正 14 年(1517)に、波々伯部家の菩提尼 妙光みょうこう比丘尼びくにが、薬師如来懸仏と古神輿を奉納したとの記録があります。

神輿殿

神輿鉾

神輿鉾 3 本(イメージ写真)写真はイメージです
神輿鉾 3 本

冊子では「大歳神社へのおたびに先導する神具」と説明されています。かつては 3 人の男衆が持ち、神輿の先頭を歩きましたが、50kg の重さのため、現在は披露のみとしています。

一番鉾は御祭神、二番鉾は妃神、三番鉾は御子神です。

おとしもり(大歳神社)